節分の昔の風習と今の違いは?豆まきや恵方巻き、入り豆の理由や掛け声の違い

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そろそろ豆まきの季節ですね。

お家で「鬼はー外!福はー内!」と、家族みんなで豆まきをする方も多いのではないでしょうか。

豆まきをした後は、数え年の数だけ豆を食べて、恵方巻を食べて・・・と、季節のイベントとして楽しんでいます。

ところで、節分の風習はいつからあるのでしょうか。

いつから節分が始まり、昔も今と同じように豆まきをしたり、恵方巻を食べたりしていたのか気になりますよね。

昔の風習と今の風習に違いはあるのか、そもそも豆まきはなんのためにするのかを調べてみました。

節分の昔の風習と今の風習、どこが変わった?

昔と今の節分の日時は違う

まず、昔と今とで大きく違うのは日にちです。

今は立春(だいたい2月4日頃)の前日を節分と言います。

しかし、江戸時代より前は、旧暦で立春は新年と捉えられていました。

節分は立春の前日、つまり、太陰暦の大晦日にあたります。

 

今と昔の節分の日時

 

今も昔も立春の前日は同じですが、立春の捉え方が違っていました。

 

  • 今・・・立春(だいたい2月4日ごろ)
  • 昔・・・江戸時代より前は、旧暦で立春は新年

よって、

  • 節分の日時「今」・・・だいたい2月4日の前日
  • 節分の日時「昔」・・・太陰暦の大晦日(新年の前日)

今と昔では同じ立春の前日と言っても立春の捉え方が違っていました。

そのため、ひと月も違っていたんですね。

昔と今 豆まきは?

そして、節分と言ったら豆まきですが、もともと中国の明時代の風習で、室町時代に日本に伝わったようです。

室町時代の応永32年正月8日を記しているものが2文書(宮中の『看聞日記』、室町幕府の記録『花営三代記』)あり、これが文献に記されている節分の最も古い記録です。

この時代(室町時代)から既に豆まきが行われていたことが記されています。

昔から変わらずに豆まきは続いているようですね。

今と昔 恵方巻は?

では、恵方巻はどうでしょうか。

最近ではこの季節になると、スーパーやコンビニでズラッと並んでいるのをよく目にします。

恵方巻の風習は大阪が発祥だと言われていますが、その起源の定説はまだ発見されていません。

恵方巻というものが認知されるようになったのは1989年にセブンイレブンが仕掛け、全国に広がりました。

これ以前に、恵方巻というものが存在したという文献は見つかっておらず、小売業界の戦略ではないかという声もあります。

ただ、大正時代に花街で巻きずしを食べていたという伝聞もあるようですが、真相はいまだにわかっていません。

いずれにせよ、恵方巻は豆まきに比べるとかなり歴史が浅いようですね。

豆まきって何のためにするの?

かなり昔から豆まきが行われていたことはわかりましたが、そもそも何の目的で豆をまいていたのでしょうか。

それは、邪気を追い払うためです。

穀物には生命力と魔よけの力があると言われており、また、鬼に豆(魔目)をぶつけ、鬼を滅する「魔滅」にも通じています。

普段私たちが豆まきに使っているのは炒り豆ですよね。

炒り豆にも理由があります。

炒り豆の理由とは?

室町時代に編纂された辞典『壒嚢鈔』には、石穴から鬼が出てきて都を荒らすのを、鞍馬山の僧正が祈祷し、鬼の穴を封じて炒り豆で鬼の目をつぶし、災厄を逃れたとする伝説が記されています。

また、生の豆を使ってしまうと、そこから芽が出てしまい、縁起が悪いとされているためです。

豆まきをする時には掛け声をかけますが、「鬼は外、福は内」が一般的です。

「鬼は外、福は内」の掛け声は?

この掛け声も室町時代のころから変わっていないようです。

ですが、地域や神社によって違う場合もあるようです。

鬼を祭神、または神の使いとしている神社などでは「福は内、鬼も内」としています。

更に、奈良県吉野町の金峯山寺では役行者が改心させた鬼を弟子にしたという故事により、「鬼も内」。

また、鬼が付く地名や、鬼の字が姓に含まれている世帯が多い所は「鬼も内」としている地域が多いようです。

このように、地域や神社の特徴によって掛け声は変わります。

まとめ

節分についてまとめてみましたが、いかがでしたか。

今まで、特に由来など考えずに節分を過ごしていましたが、かなり歴史が深いことがわかりました。

炒り豆だとすぐ食べられるからかと思っていましたが、きちんと深い理由があったんですね。

季節の分れ目に邪気(災厄)がやってこないように、しっかりと豆まきをして鬼を追い払いましょう。