雛人形は江戸幕府時代に禁止令?雛人形の歴史と飾り方の変化をわかりやすく

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女の子のいるご家庭で楽しみな年中行事といえば、ひな祭りですよね。

特に雛人形を飾ると家の中が華やいで、春の訪れが待ち遠しくなります。

そんな雛人形の歴史をご存知ですか?

かなり昔からあるようなのですが、時代とともにずいぶん変わってきているんですよ。

特に、江戸時代中期には豊かさの象徴として、どんどん豪華にサイズも大きくなっていきました。

しかし、贅沢禁止令というものが!?

雛人形の歴史を少しだけでも知って、古くから続く想いを大切にしたいですよね!

今回はそんなあなたに、雛人形の移り変わりをとってもわかりやすくご紹介しますね。

雛人形はいつからある?雛人形の歴史と飾り方の変化

雛人形って、ここ何十年かの間だけでも流行の形がありますよね?

私の小さい頃は、まだ7段飾りがある家も多かったです。

その後ガラスケースに入ったタイプが主流になり、現在はガラスケースなしのコンパクトなタイプが流行っています。

今流行りの形があるのと同じように、昔もその時々によって雛人形の形は変化してきました。

まずは、ひな人形の由来や起源から見ていきますね!

雛人形の由来や起源は?

そもそも雛人形は、一体いつごろ生まれたものなのでしょうか?

雛人形の歴史は古代にまでさかのぼり、中国から日本に伝わったと言われています。

『紙で作った形代(かたしろ)に自分の身の災いを移して川に流す』

という習慣が元なのだそう。

その名残が、竹でできたカゴにお雛様を乗せて川に流す「流し雛」です。

また、平安時代の貴族の女の子は、紙で作った人形と家で遊ぶ「ひいな遊び」をしていました。

それも雛人形のルーツになっているようです。

ですが、形代は紙を人型に切り取ったような形で、雛人形のようなお人形には見えません。

これがどのように変わっていくのでしょうか?

【江戸時代初期】紙で作った形代(かたしろ)から人形へ変わった

この形代がお人形の形になってきたのは、江戸時代に入ってからのことです。

最初に、江戸時代より少し前に和紙でできた「立ち雛」が登場します。

これはお内裏様とお雛様が立った姿のお雛様で、屏風などに立てかけて飾る形です。

続いて江戸時代初期に、座った姿の「座り雛」が出てきます。

座り雛は現在のようなお人形の形になってきます。

初期のころは大きさも小さく、質素な見た目でした。

【江戸時代の中頃】雛人形がどんどん豪華で大きくなった!

それが大きく変わったのは江戸時代の中頃のこと。

身分の高い女性の嫁入り道具に加わったことで、どんどん豪華になっていきます。

平安貴族の衣装を再現した十二単になったり、金箔の貼られた屏風もあったのだとか。

サイズも大きくなっていき、一番大きいもので60センチにもなったと言います。

大きすぎて、家にあったらちょっと怖そうですよね…。

人形に布の衣装を合わせるところは現在のお雛様と同じなので、だいぶ近づいてきたとは言えます。

豪華な雛人形が江戸幕府に禁止?!徳川吉宗の贅沢禁止令とは

ところが、豪華で大きくなる雛人形にストップがかけられます。

徳川吉宗の時代に、倹約政策がしかれて贅沢が禁止されたのです。

徳川吉宗は暴れん坊将軍のモデルの人ですね♪

 

その当時は世の中全体がバブルのような状態で、とても華やかな時代でした。

そのためお雛様もどんどん派手で巨大化!

そんなお雛様にも、大きさや小道具に制限がかけられました。

つまり、あまりにも大きくて豪華な雛人形は作れなくなったということ。

 

たしかに、いかに財力があるか見せつけるためなら、

「もっと大きく!」

「もっと衣装や道具も豪華に!」

とキリがないですよね。

ただし、この禁止令では雛人形そのものが禁止されたわけではありません。

ですので、逆にとっても小さいお雛様が登場するなど、その後も創意工夫はこらされていきました。

江戸時代後期 「古今雛(こきんびな)」が現在の雛人形

その後、江戸時代後期になると「古今雛(こきんびな)」という雛人形が作られるようになります。

目の部分にガラスや水晶がはめ込まれ、顔も写実的に描かれて、細かく作り込まれています。

この古今雛が現在の雛人形の直接のルーツと言われています。

 

また、三人官女や五人囃子といった人形が増えてきたのもこの頃からです。

幕末には江戸で7段飾りが、京都などの上方では宮中の建物が調度品に入った御殿飾りが登場します。

小道具もどんどん増えていきました。

 

御殿飾りは映画のセットを一緒に飾っているような感じがして、思わず見入ってしまいます。

今の時代に、お内裏様・お雛様だけのものから7段飾りまであるのは、このような歴史があるからなんですね。

まとめ

いかがでしたか。

雛人形は時代とともにだんだん形が変わってきました。

江戸時代中期には豊かさの象徴として、どんどん豪華に、サイズも大きくなっていきました。

そのため、幕府から贅沢禁止令が出されてからは、雛人形もその対象になってしまったんですね。

その頃と現在の雛人形は、飾り方や小道具まで違います。

あまり「正しく飾らなければ!」と思いすぎる必要はないですよ。

お子さんと一緒に、小道具やお付きの人形の意味などを調べてみると楽しいかもしれません。

ぜひやってみてくださいね。

 

雛人形にはそれぞれの役割がありますが、それぞれどんな意味があるのかはこちらの記事が参考になります。

「雛人形にはそれぞれどんな意味があるの?」